家族会議が開かれ当然のごとく反対されたが、長女に両親を説得してもらい、無事に「原田実とワゴンエース」の一員になった。(リーダー・St.G・原田実、Vo・G・寺本圭一、 F・宮城久彌、Dr・丸山章一)このときから人生が180度転換した。 TV、ラジオ、コンサート等、おいしい所はほとんどワゴンエースであり、よく売れていた。 ちょうど日本のカントリーミュージックの一番良い時の一番最後であったと思う。 大学3年の後半、卒業設計を提出する時期に北海道労音にぶつかり、北海道ツアーに出てしまった。 帰ってきてから先生に理由を聞かれた。 |
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■原田実とワゴンエース |
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「どうして提出できなかったのか?」 「仕事をしていました。」 「仕事は卒業してからも出来るだろう。どこの設計事務所だ。」 完全に両者食い違ってる。 「音楽をやっています。」 「それではプロでやれ!」(怒) 「プロでやってます。」 「それならTVくらいでてみろ!」(さらに怒) 当時TVのレギュラー番組もありよく出ていたので、 「TVに出ています。」先生はもうカンカンになり、 「もうお前には単位はやらん!」 |
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この間に横須賀ドブ板通りにある「プラスレール」の専属バンドになり、大学の後輩をあつめてバンドをやっていた。 大野義夫とカントリーメイツに入り全国をショー巡りしていたのもこのころである。九州、東北と楽しい思い出がある。大野義夫さんは、日本のカントリーヨーデルとバンジョーの第一人者であり常にお客様を大切にし楽しんで帰ってもらおうというエンターティナーである。(現在、ステージコーチに毎月1回レギュラー出演) 学校を卒業して又、原田実とワゴンエースに戻ろう思っていた頃、後輩達がプロでやりたいと言ってきた。自分の音楽を作ろうと意気盛んの頃である。 1971年“片山さとし&フレンドシップ”の誕生である。(G・三浦ひろし、Dr・貝森ジュンジ、StG・尾崎孝、Vo・泉エリ)生意気にも日本の古いカントリーから脱皮しようと、新しいことをいろいろ試してみた。キーボードを入れたカントリーは当時あまりなかった。尾崎君が入るまでは全員関東学院大学出身の学閥バンドであった。三浦、尾崎のサウンドは絶妙であった。カーペンターズのカントリー版の様な事をしていた。 ワゴンエースでの勉強と、多くの知人ができ、マネージメントとプレイヤーを始めた時期である。私の音楽はカントリーサウンドをベースに、日本の曲をやりたかった、オリジナルや当時流行っている曲でカントリーになりそうな曲はだいたい手がけていた、なかなか充実した日々を送っていた。
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