■片山さとし&フレンドシップ | |||
1976年父が他界し、息子誠史が生まれる。 (現カントリーシンガーとして活躍、父子二代でカントリー界でお世話になり、嬉しさ半分で心配である。) 飯塚文雄、鳥塚しげき(ワイルドワンズ)らに誘われ、芸能プロダクション(株)メガ・コーポレーションを設立。マネージャー業務に専念することになる。 事務所の企画としてあこがれのアメリカ・テネシー州ナッシュビルにも行った。鳥塚しげきのバンド、“ホットケーキ”がアグネス・チャンのバックバンドになり、コンサート、TV等に出演、会社も上向きであったが突然アグネス・チャンが芸能界を引退すると言う事件が発生。なんせ1年先のスケジュールが全部キャンセルとなる。当然会社は傾いてきた。 丁度この時期に横浜のウェィロン ジェニングス“ジミー・ウォーカー”(故勝新太郎氏のブレーンで大映の悪役俳優)と知り合う。横浜山下公園の前に、ライブハウス“グラスホッパー”を経営していて、自分のバンドを作りたいと相談される。また、ミュージシャン人生に逆戻りである。 グラスホッパーズ:Vo・ジミ−・ウォーカー、StG・永井章、EG・推崎輝也、Dr・丸山章一、F・藤本精一 ジミー・ウォーカーは実に豪快な男であった。 注:ケイコ・ウォーカーはジミーの姪であり、当時はピンクレディーを追いかけている小学生であった。現在は日本のエミルーハリスといわれ、カントリーシンガーとして活躍している。 |
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1979年に解散、昔からの友人で東宝の平林敏彦氏と企画・制作会社、(株)ワンスポットを設立。 代表取締役をやっていた。平林さんには舞台制作等を教えてもらった。
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